私の従兄弟は同い年ですが、すごい才能の持ち主でした。器械体操をしていて筋骨隆々、ピアノも弾くし、頭も良くて知識が広く、お話しも上手なのです。よく考えてからとつとつと話す私とは対照的です。較べられる私にとって幸いなことは、彼が違う学区に住んでいることでした。
小学4年のある日、彼が家に来て半日過ごしたときのことです。母は仕事が休みで、手の空いたときに私たちの勉強を見てくれました。算数の問題を、彼は私より速く解いて「はい叔母さん」と誇らしげに手を挙げます。その手はすらりと伸びて、天井まで真っ直ぐ届くかのようです。私が黙々と問題を解く間に、彼は何問も先を行き、彼の声とそれを褒める母の声が遠くで聞こえていました。
やっと私が全部やり終え、答えをチェックした母が一呼吸置いて言いました。「きよしのは答がしっかりしている」そして笑顔に。…嬉しかった。「ああ、この女は信用できる」と心の中で思いました。不思議なことに何度思い返しても「お母さんは…」ではなく、「この女ひとは…」でもなく、「この女おんなは…」なのです。小学4年のとき感じました。
誰がどう見たって従兄弟が勝まさっているのは明白なのに、母は私を贔屓ひいきして「答がしっかりしている」と持ち上げてくれたのです。ただの四則演算の問題だから、答は一つしかなく、しっかりもあやふやもないのにです。その言葉の意味はともかく、母の私への無条件の愛を感じました。それが「この女は信用できる」という反応になったのでしょう。
母は非論理的で感情的で信用ならない面もたくさんあります。お手伝いしたら、日曜日に映画を見に行ってもいいと約束してくれたのに、当日宿題をやらないと行かせないと簡単に前言を翻ひるがえします。高校の時にも、母が料理学校の視察旅行で香港に行くことになり、旅行社の男性から母の年齢の問い合わせの電話があったときです。私は正直に答えたのに後でこっぴどく怒られました。「なんで○○才と言わなかったの!」と10才も若い年をあげたのにはビックリです。女の本性を見た気がしました。ですが、それら何千もの理不尽な仕打ちも、この「きよしのは答がしっかりしている」が帳消しにしてくれるのです。
留言