ラムネモンキーと記憶変容
- 3月26日
- 読了時間: 5分
あまりドラマを見るほうではないのですが、ラムネモンキーはふと2話くらいから見始めて、はまってしまいました。昨日の最終話も、色々なことがはっきりした+余韻も残ってよかった。
ラムネモンキーが好きになったのは、主人公たちの中学生時代のエピソードが懐かしかったから。同年代。ジャッキー、酔拳、ガンダム、ゾンビ、ジェイソン、マイケル。どれもドンピシャでわかります。
そしてもう一つは、記憶が消えたり、蘇ったり、変容してしまったり、そしてそれが固定化されて真実だと思い込んでしまったりする主人公たちの様子が、非常に興味深かったから。特に、マチルダと交わした約束がなんだったのか、なぜ自分たちのせいでマチルダは亡くなったと思ったのかが思い出せないというストーリーには記憶変容、記憶の抑制がかかわっているのか。それはなぜだろうと思いながら観ていました。
記憶の不思議
私自身の、記憶のお話をひとつ。
小学校の時、朝、門をくぐって校舎に向かう煉瓦の階段をあがっていたら、おはよう!と元気な声でクラスメートが声をかけてきました。いつもと変わらない朝。いつものはじまり。
事態が変わったのは朝の会頃だったか。その子が「ランドセルがない!」と騒ぎ出した。自分は絶対背負ってきた。なのに気づいたらない!と。そして私のところにきていいました。「ね、私ランドセル背負ってたよね?」
「・・・」
私は思い出そうとしたけれど、おはようといった横顔と手を振るその子の姿は思い出せても、ランドセルは非常に曖昧。
「うーん」と返答すると、明らかに不満げに「ランドセル持ってたよね!」と強い口調で言われてしまった。
「持っていた・・・かも・・・。うん。多分もっていたよ」
嬉しそうな表情になった彼女に後押しされて、私が思い描いた「おはよう!」と通り過ぎるあの子の背中にランドセルがあったような気がしてきました。
結局、彼女のランドセルはお家にありました。
家に忘れてきたのです。
別に私は責められることもなかったけれど、自分で自分にがっかりしました。がっかりと
いう気持ちと共に思い起こすと、いまでもはっきりと、「おはよう!」と言われて顔をあげて見えた、彼女の横顔と振っている手は思い出すのです。ランドセルもあるような気がしてならない。
記憶の信ぴょう性
記憶のメカニズムは今も研究が進められています。昔はさまざまな実験から。今は脳の働きの解明から。1970年代に行われた、ロフタスとパーマーの目撃者証言に関する実験。
自動車事故の映像を見せた後、ビデオでの車の速度がどのくらいだと思うかを問う実験でした。ただし、下記のように車同士の接触の際の言葉を変えて聞きました。

「車同士が(smashed激突した/collided衝突した/ bumpedぶつかった/ hitあたった/contacted接触した)とき、だいたいどのくらいの速度で走っていましたか?」
その結果、使う言葉によって、推定スピードは変わりました。下記がその結果のグラフです。

「激突したsmashed」という動詞は平均推定速度が最も高く(約40.8mph)、次いで「衝突した」(39.3mph)、「ぶつかった」(38.1mph)、「あたった」(34mph)、「接触した」(31.8mph)の順でした。
実際には、撮影された衝突シーンは20~40mphで演出されており、参加者が速度を大幅に過大評価していたことが示されたわけです。統計分析により、言葉遣いの影響が有意であることが確認されました(影響があるということ)。
さらに驚くことに、「車が『激突した(smashed)』とき」と聞かれたグループは、「『接触した(hit)』とき」と聞かれたグループよりも、実際には存在しなかった「割れたガラス」を思い出す確率が高くなったそうです。
言葉一つで、記憶は変容してしまうということを明らかにした実験です。
記憶が変わる時
話を先ほどの私の小学校時代の記憶に戻しましょう。私はきっと、ランドセルを背負ってきた!と自信満々のクラスメートの表情や雰囲気で、自分の記憶に手を加えてしまったのでしょう。
記憶のメカニズムは、符号化→貯蔵→検索想起と言われています。つまり、自分で意識したことが符号化されて脳の中に保持、貯蔵されて、思い出したい時に検索想起するという流れです。でも、同じ絵を観ても符号化されるものが違う。そして、これはロフタス博士が言っていることですが、ビデオや動画のように記憶されているものが変わらずそこから検索するシステムにはなっておらず、新たに入ってきた情報、記憶などでブレンドされて貯蔵段階で変容していくものなのだと言われています。もはや自分の記憶に全く自信が持てませんね。
人間の持つ力
でも、それは人間の力の一つでもあります。過去の記憶に新たな意味づけをすることで、辛い記憶を乗り越えることができる。そして私たちは自分の過去を自分の良いように変容して覚え、糧にしていくのかもしれません。
ラムネモンキー。中年になり、それぞれ行き詰まっている主人公たちが、過去の記憶を辿りながら何が実際起きたことだったのかを探っていくお話は、そういう都合良い変容を繰り返して、徐々にマチルダとの約束も忘れ流されてしまっていた自分に気づき、当時の思いを思い出すお話でした。
そして、もうひとつ私がこのお話で素晴らしいと思ったのは、空想力の力。マチルダは宇宙船に乗って月の向こうに行ったんだとなぜか思っている主人公たち。それに紐づくさまざまな出来事がありましたが、その空想は、別れの辛さを乗り越える知恵だったのかもしれません。
心理学では、幼少期に空想の友達がいた子達は、その後のストレス耐性が高いことが証明されています。
最近の子達にも空想の友達っているのかな。
みなさんは、子どものころ、どんな空想をしていましたか?
空想の友達、いましたか?
ネット動画、検索、AIもいいけれど、頭の中で何が想像できて、どんなお話が膨らむか、楽しんでみる時間も持ちたいですね。




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